皆さんこんばんは、Jackです。
久々のブログ記事更新です、ご無沙汰していてすみません。
今回は「逃げる」ことについて、少しお話をしてみたいと思います。
逃げることは恥じゃない
テレビドラマのタイトルじゃないけれど
「逃げる」「恥」といったキーワードを並べると、きっと皆さんの頭に浮かぶのは一世を風靡したテレビドラマのタイトルじゃないでしょうか。
僕自身はそのドラマを見たことが無い(というか、日常生活でテレビをほとんど見ない)のですが、社会人になり、歳を取るにつれて「逃げることは恥じゃない」と思うようになりました。
学生の頃などは、目の前の困難に「当たって砕けろ」みたいなところが少なくなかったのですが、歳を取るにつれて経験や知恵がつき、その一方で気力や体力が衰えてくるため、闘牛士よろしくストレスをさっとかわしたり、あるいは一目散に距離を置くように逃げ出したりすることが増えてきました。
立ち向かうばかりが能じゃない
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」などとも言いますが、極論を恐れずに言えば、そんなことが出来るのは責任を負うことがない(あるいは少ない)若い頃だけです。
ある程度歳を取ってくると、負わなければならない責任、守らなければならないもの(それは立場であったり、家族であったり)がだんだんと多くなってきます。若い頃のような「身軽さ」がなくなってしまう訳ですね。
そんな中、若い頃と同じように苦労や困難に立ち向かっていくと、それが自分にとって何とかなる困難、乗り越えられる壁であれば良いのですが、もしそうでなかった場合には非常に手痛いしっぺ返しを食らいます。貴方の心身にダメージが及ぶことも気がかりですが、歳を取ると誰もが立場(特にサラリーマンの場合、役職など)にダメージを負い、貴方の立場を狙っていた他の誰かが得をするだけだったりもします。
とはいえ、立場があるために逃げられないといったケースも多々あることでしょう。そういう時には「回り道をする」「時間を稼ぐ」「誰かの助けを借りる」など、様々な方法で「逃げる」に代わる対処を取ることをお勧めします。
昔に比べて、負わなければならない責任が多すぎる?
これはあくまでも僕個人の意見なのですが、一昔前に比べると、現代は負わなければならない責任の量・質ともに大きく変わっているように思います。
SNSが普及されている現代においては、インターネット上の不用意な発言が思わぬ炎上騒ぎを招いたり、管理職のプレイングマネージャー化が顕著になったり、常日頃から注意しなければならないことは、以前に比べてかなり増えているのではないでしょうか?
もしも僕の仮定が正しかったとして、そうなると何でもかんでも「責任」に真正面からぶつかってばかりいては、とても身が持たないでしょう。
心身共に疲れ果て、精神科の病院にかかることだって、一昔前では「逃げる」「恥」といった感覚が強かったのかも知れませんが、現代ではそんなことは言っていられません。よくよく目を凝らして辺りを見渡すと、自分が思っているよりも多くの人達が日々のストレスに苦しみ、精神科の病院に通っています。
そんな時は、別に逃げたっていいのです、恥でもありません。僕のお師匠様も「辛いことが重なった時には、死んだフリをしてやり過ごすのも手」などと言っていました。その瞬間は仮に「負けた」としても、後で帳尻合わせが出来ていればオッケーです。
ただでさえ、何かと生き辛い世の中です。ぜひ皆さんも逃げることを恥と思わず、うまく立ち回って目の前の困難をやり過ごすなり、クリアするなりして下さい。今回のお話は、この辺りまでとさせていただきます。次回もまた、どうぞよろしくお願い致します。