皆さんこんにちは、Jackです。
今回皆さんにお話ししたいのは、「今を生きることの大切さ」と「万が一の事態に対する備えを考えること」についてです。どうぞよろしくお願いいたします。
今を生きつつ、最悪の未来にも備える
悲観主義の損得
皆さんは「悲観主義」というキーワードから、どのようなことを想像されますか?
よく対になるキーワードが「楽観主義」ですが、楽観主義はあまり何も考えていなくてあっけらかんとしたイメージ、それに対して悲観主義は様々な物事に思いを巡らせ、思索にふけりがちといったイメージがあるかなと、僕は感じています。
では、いざ自分が悲観主義であると仮定した場合、その損得勘定を考えてみるとどのような結果になるのでしょうか?
結論から言いますと、僕が考える限り、得なことは一つもないと思います。
それは何故かと言いますと、楽観主義で気楽に生きていても、悲観主義で物思いに沈みながら生きていても、自分の目の前に広がる人生の景色は変わらないからです。
もっと簡単に言えば、明るい気持ちで生きていても、暗い気持ちで生きていても、自分が生きなければならない今の状況には何も影響を与えないのです。
であれば、暗い気持ちで生きる方が損だとは思いませんか?
目の前の出来事に何の影響も及ぼさないのであれば、暗い気持ちで生きるよりも明るい気持ちで生きる方が、気分が明るくなれるだけまだマシというものです。
過去は変えられない、未来は予測がつかない
悲観主義の人(その一例としては僕)が陥りやすい傾向の一つとして、過去の出来事でくよくよと悩んでしまったり、あるいは未来の出来事に対する不安感が強かったりというものがあります。
ただ、冷静になって考えてみれば、既に起こってしまった出来事について「ああすれば良かった、こうすれば結果は違っていた」と後であれこれ悩んでも、その結果が覆されることは決してありません。
また、これから起こるかも知れない未来の問題について心配してみたところで、その心配のほとんどは取り越し苦労で終わることが多く、仮にその心配が的中したところで「ほら、みたことか」という自己満足以外に得られるものはほとんどありません。あれこれと余計な心配をして辛い思いをする時間が長くなる分だけ、損だとも言えるでしょう。
だから、つい脳裏をよぎりがちな過去の辛い出来事や、未来に起こるかもしれない嫌な予想にとらわれることなく、現在のみに意識を集中する考え方のクセをつけていただくと良いでしょう。
現在のことであれば、過去や未来とは異なり、自分自身での対処が可能です。いやむしろ、現在の対処をおろそかにしてしまう事こそ、時間が過ぎて「現在」が「過去」になった時に色々と悔やむような羽目に陥ったり、未来の重大な出来事に大きな影響を及ぼしたりする可能性が高いのです。
とはいうものの…。
ただ、これまでのお話とは矛盾することになるかも知れませんが、「最悪の未来」を想定して、現在出来るかも知れない準備をしておくことは無駄ではありません。
例えば、現在は健康で何の心配もなく生活が出来ているものの、ある日突然事故にあったり病気になったりして、これまでの生活基盤がガラガラと崩れ去ってしまうようなことも可能性としてゼロではありません。
だから、もしもそのような事態に見舞われた時のことを想定して、日頃から節約して貯金をするとか、健康に気を使って運動をするとか、そういった意味での未来への心配(というか備え)をしておくことには大きな意味があると考えます。
世の中には「Hope for the best and prepare for the worst(備えあれば患いなし)」という言葉もあります。ただいたずらに漠然とした未来への不安を抱え込むことは避けたいところですが、ある意味において健全な形での未来への備えはしておきたいところですね。
今回も僕の話にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。