皆さんおはようございます、Jackです。
「仕事が嫌になったら見るブログ」などという題名でブログ記事を書いている僕が、ここ最近まで新しい仕事に苦労していたというのは非常に皮肉なものでした。
特に、近頃の悩みへの回答みたいなものが、過去の自分のブログ記事に概ね書いてあったっていうのは、自分の発言に対して自分がそれを守れていないというか……どうにも苦笑せざるを得ないような状況でした。
で、なぜそのような事になってしまっていたのかを考えてみたのですが、おそらくは「喉元すぎればなんとやら」で、一時期の非常に苦しかった時期から状況が変わったことで、昔に習ったことや覚えたことを忘れていたような気がします。
ちょっと本来の趣旨とは違うのですが、そういった意味でも僕は「今を生きていた」のかも知れません。
「今を生きる」の本来の趣旨は、変えられない過去にこだわっても意味がなく、先の読めない未来を不安視しても仕方がなく、人は「今」を大事に生きていくのが望ましいといったものになるのですが……なにぶん加齢と精神(脳機能)障害のこともあってか、せっかく覚え習った様々なことを忘れ、自分の考え方の癖に引っ張られてしまっていたようです。
そんな中、ちょっとしたきっかけなどもあって「今の自分にとっては、今できることをやるだけやるしか方法がない」といった気付きへと行き着き、ついつい陥ってしまう自分の「完璧主義」を手放す……というか、やるだけやった後はなるようにしかならないだろうといった開き直りをすることで、ここ最近の苦しみから少し逃れられたような気がしています。
あとは、その日その日で一日を乗り切ることが出来た自分を、自分で褒めるようにしています。
その他、一日の仕事を終えてまだ何かやらなければならない仕事が残っていた時は「今日はもうこれだけ頑張ったから、あとは明日に備えよう。残りの仕事は、明日の俺が何とかするだろう」などと思ってみたり、比較的精神的にも体調的にも落ち着いている時には「今、わざわざ何かの理由を探して不必要に悩んで、わざわざ自分の調子を悪くする必要はないだろう」などと思ってみたり。
さて、今回の記事で何が言いたかったのかですが、一言で言えば「今という一瞬を頑張って生きることの連続で、結果的に自分の人生が自分の後ろに続いていく」といった辺りでしょうか。
過去は変えられない、未来は決められない。目の前の「今」だけが、自分が対処できるもの(こと)だと思うのです。その結果、「自分史」が自分の後ろに続き、未来の自分の土台にもなるのです――一番大事なのは「今」ですよ。「今」を精一杯頑張って生きて、自分の生を実感しましょう。あとは人生Let it be.です。(笑)