皆さんこんばんは、Jackです。
今回のブログ記事は、ほとんど僕の独り言です…すみません。
内容は短いですが、どうぞよろしくお付き合い下さい。(笑)
働く理由なんて、何だっていい
たまたま読んだ本に、ちょっといらだって
ずっと以前に古本屋さんで購入して、そのままほったらかしにしていた本を、最近になってようやく読みました。
戸田智弘著「続・働く理由」です。
続編から読んだのは、古本屋さんに前作がなかったからです。(笑)
買ったものの、しばらくほったらかしにしていた理由は、この本を読み進めていく中で思い出しました…僕が読んだ限りでは、この著者さんは仕事を礼賛しているように見えたのです。
いわく「働くことがお金を稼ぐ手段だけではないとき、働くことそのものの中に喜びや生きがいや自分の人生の目的をこめられるとき、それは仕事だ(96ページ)」とか、「良い社会、良い会社、良い仕事はつながっている(185ページ)」とか。
この際です、はっきり言います。
余計なお世話です。(´・ω・`)
他にもたましいのこもっていない仕事とは「割り切った仕事」で、仕事はお金のためだと割り切ってする「労働」であるとか、逆にたましいのこもっている仕事とは「割り切っていない仕事」で、「仕事の報酬は仕事である」と言えるような仕事であるとか…。
あのー、仕事を割り切っていても「プロ意識」がちゃんとあったら、それは「たましいのこもっている仕事」と言っても良いのでは…?
いかにも日本人らしい仕事観と言えなくもないのですが、こんな調子が全般に渡って続くので、読んでいると色々と気持ち悪くなってきて、読むのが嫌になっていたのを思い出しました。
少なくとも、仕事が嫌になった人は手にとってはいけません。余計に仕事が嫌になると思います。
「仕事が大好きだ!!」と大手を振って笑える人であれば、まあそんなに悪くはない内容かも知れません。
働く理由なんて、人それぞれ
当たり前の話ですが、働く理由なんて人それぞれで、誰かにその理由の善悪を決められる筋合いなんてないのです。
「割り切った仕事」、大変結構じゃないですか。ちゃんと働けているだけで、とても立派なものです。
誰もが皆、自分の仕事に100パーセント満足できる訳ではないのです…っていうか、むしろ不満が全く無い人なんて、この世にいないんじゃないでしょうか?
そんな中でも、色々と折り合いをつけながらも、何かを割り切って働く…これって凄い頑張りですよ。
っていうか、「仕事の報酬は仕事である」と言えるような人がもしもいたならば、僕が経営者(使用者)だったらその人に「じゃあ、アナタに賃金を支払う必要はないよね? あアナタへの報酬は仕事だよ」って言いますけれど。
現実は、そんなわけにはいきません。賃金を支払わないのは使用者としても大問題ですが、何より労働者として賃金が貰えないのは論外だと思うのです。
賃金を貰って働く中で、自分の仕事が楽しいと思える人、仕事にやりがいがある人は、それはそれで大変幸せな話です…ぜひそのまま頑張ってください。
でも、自分の労働環境に何らかの不満があっても、あれこれやりくりして(先の本の著者が言うところの「割り切った仕事」をして)でも頑張って働いている人は、それだけでも大変価値があると僕は思います。
そして、その働き方に「たましいがこもっている」かどうかは、仕事に対する割り切りなんて関係ありません。仕事に対して割り切りを持ちながらも、一方で「プロ意識」をもってその人なりに精一杯働いていれば、それはその人の立派な「仕事」なのです。
まあぶっちゃけ、僕が働く理由は「自分と家族の生活のため」と「割り切って」います。そのことについて、何ら後ろめたいことはありません。
割り切ってはいますが、仕事に手抜きはしていないつもりです…だからこそ、抑うつに苦しむ羽目になった訳ですが。(苦笑)
だから、皆さんもぜひ「自分自身の理由」で「割り切って」仕事を頑張ってみてください。どんな理由ででも、必死に働くあなたは素晴らしいです。
よろしければ、こちらの過去記事も併せてご覧いただければ幸いです。
それでは、今回はこの辺りにて。
次回もまた、どうぞよろしくお願いいたします。